境内
赤鳥居から南北に真っすぐに延びた参道この参道を挟むようにけやき、えのき、もみじなどが森を造っている。
赤鳥居
蛇切岩伝説は舞鶴市東南部で語り継がれている民話。失恋した娘が大蛇に化けるが退治され、岩に激突して頭と胴と尾の三つに切り裂かれ、しっぽの部分が当神社に祀られたという。
蛇切岩伝説
本殿は重要文化財に指定されており、延齢泉井戸の上に建つ独特の建築様式は歴史的価値があります。本殿と拝殿は幣殿(廊下)で繋がっています。
本殿
延齢泉
当社の御霊水は丹後風土記に「弥加宜社は往昔、丹波道主命の祭り給う所にして社中に霊水有り世に杜清水と号す」と記載されており一般に称せられております杜清水の中心であります。
往昔より延齢泉とも称し(延享4年本社再建記に記載)長命を授かる御霊水として尊ばれております。尚崇神天皇の御代(今から2000有余年前)に四道将軍の一将丹波道主命が当社御際神天御影大神をこの霊水の上に鎮座された当社由来について、木造建築である我が国神社建築様式としては水神以外には殆どその例無く神社としては異例中の異例であり格別の由来がある事と思いますが遺憾ながら詳細は不明であります。
※社頭案内板より抜粋
駆逐艦「菊月」の砲身
本砲身は、大正十五年に旧舞鶴工作部にて建造された駆逐艦「菊月」の主砲で、重量約三トン、砲身長約五・四メートルあります。「菊月」は、先の第二次世界大戦において最前線防備に従事しましたが、昭和七年にソロモン諸島の激戦において没した後、その姿を唯一海上に船の一部を残す日本海軍艦艇として知られていました。
現在では、戦艦、空母の史料に比べ、最前線で活躍した数多くの駆逐艦の史料は少なく、このままではこの史実が風化すると考え、この度「菊月」の一部を引き揚げ日本に持ち帰り、貴重な歴史資料として修復保存し、その一部である主砲砲身を建造地である舞鶴の地で、匠の始祖をお祀りしている彌加宜神社(大森神社)に設置することは、誠に意義深いものと考えています。
※社頭案内板より抜粋
手水舎
大江山から鬼の洗濯岩をここ彌伽冝神社(大森神社)まで運び込んで造られたという手水岩、重さは4~5TONあります。